陸軍諜報33
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昭和十五年、山本和夫は身に覚えのない罪で軍法会議にかけられ、位階勲等を奪われ、懲役刑を言い渡された。実は、これは和夫が陸軍中野学校の幹部に抜擢されたあとの手順だったのだ。和夫は肉親にそれを知らすることも禁じられ、中野学校四期生として英語、マレー語、柔道、射撃らの訓練を受けた。秋山少佐の訓練は厳しく、死者が出るほどだった。昭和十六年、訓練を終えた和夫たちは、卒業と同時にひとつの任務を与えられた。それは、日本にはりめぐらされている外国の諜報網のひとつを潰すことだった。和夫は同期生の正田とともに、ドイツの駐日通信員ハイゼを探ることになった。