智恵子抄

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詩人であり彫刻家でもある高村光太郎が智恵子を知ったのは、それまでの彼の荒んだ生活を心配した友人八木夫妻の計いによるものであった。智恵子は油絵を描き、セザンヌに傾倒し、当時の進歩的女性誌「青踏」の表紙を描いたりしていた。光太郎は彼女の清純な、童女の如き純愛に強く心をうたれ過去の荒んだ生活を清算し、彼女と新しい生活を営もうと決心した。智恵子こそ、始めて光太郎に生きる喜び、愛の幸せを与えた女性であった。この新しい生活から、彼の智恵子との愛の喜びを謳いあげた詩は、限りなく生れ出た。一方、智恵子は芸術家光太郎を尊敬し、夫光太郎を愛し抜いて、彼によって自分の絵の完成を試みた。彼女は、ときには食事も掃除も忘れ制作に熱中した。だが、間もなく彼女は自分の才能を生かすべきか、よき家庭の主婦として一生を送るべきか悩みはじめた。

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